2002-11-19 第155回国会 衆議院 法務委員会 第9号
しかしながら、大企業による民事再生法の利用というのが時々うまくいかないで、例えば、マイカル、宅配便のフットワーク、そしてホテルの目黒雅叙園、こういったような会社の場合は、一たん民事再生法という手段を選びながら、結局、会社更生法に移行した、そういうケースも出ております。
しかしながら、大企業による民事再生法の利用というのが時々うまくいかないで、例えば、マイカル、宅配便のフットワーク、そしてホテルの目黒雅叙園、こういったような会社の場合は、一たん民事再生法という手段を選びながら、結局、会社更生法に移行した、そういうケースも出ております。
これは、平成元年に改築の申請が出て、そのときに八百五十億というお金をこの雅叙園という合資会社が用意した。このとき私はチャンスだったと思うんですよ、買い戻してもらう。例えば、八百五十億全部建物に使わなくたってよかった。十九階建てのオフィスビルに七階建ての結婚式場と宴会場。半分、土地の値段が四百億ぐらいと当時言われていたから、買い戻してもらうような交渉をすべきだった。
今言ったように、だれかが住んでいるということ、あるいはまた更地になっているもの、あるいは先ほど話に出た雅叙園の話、これは借地権という権利を持っているという人でありましたから更地等の場合とはおのずから異なるわけでありますが、いずれにせよ、国有財産の効率的な使用をさらに徹底しようということで、ことしの七月から行政財産等の使用状況の実態調査及び未利用国有地の総点検を実施することにして、去る五月二十五日付で
それでは、まず質問の第一でございますが、平成元年に契約が結び直されたという経緯は、細かいことは時間がございませんので申しませんが、実は、平成三年十一月に完成した地上十九階のオフィスビル及び八階建ての結婚式場、宴会場、ホテルなどというのは増築されたというふうに記録には残っておりますし、目黒区役所に合資会社雅叙園が提出した建築計画概要書に、設計は日建設計、施工者は鹿島建設。
先ほど雅叙園の話を聞きました。私は委員からきょう初めて聞いたわけです。数年前に私、結婚式で雅叙園に行ったことがあるんです。ずっと前に行ったことがあるものですから、随分変わったな、えらいでかい建物になっているなと、こう思いました。
大蔵大臣、目黒に雅叙園というのがあるんです、目黒雅叙園。これは戦前から都内有数の結婚式場。館内に細川家が集めた美術工芸品がたくさんあって、昭和竜宮殿と呼ばれている。 これはちょっとわからないことがあるんですよ。これは先代の細川力蔵さんが亡くなったときに遺族の方が相続税が払えなかったんですよ。それで、これは物納したんです。今では大蔵省の所有になっている、六千坪。知っていましたか。
私は、その前に雅叙園観光でも、適正意見を拒んで会社から解任されたというある公認会計士の方を個人的に知っておりますが、そういう現状は果たしてこれから日本の産業、特に建設産業を成長させていく上においていいことなのか。
そこで、この内容は、昭和六十二年十一月ごろ、雅叙園観光を通じてコスモポリタンの池田氏側に十億円がまず融資されました。そして雅叙園観光振り出しの十億円の額面の手形が東京佐川へ差し出されたというのが一つであります。それからまたその後も、同様のやり方で二十億円が融資されました。こちらの二十億円には担保としてタクマ株、それから雅叙園観光株、これがそれぞれ百万株東京佐川に差し入れられているわけですね。
この会社は、京阪神の都心の地上げで得た資金を元に東海興業、雅叙園観光、日本ドリーム観光、石原建設等々の株を買い占めまして、証券業界の注目を浴びていたことがございます。
また、目黒の雅叙園観光ホテルですか、あそこで総支配人をやっている工藤勉君、彼なんか沖縄本島のつもりで行ったら宮古島に持っていかれまして、本島は全部死んでいます、一人残らず死んでいますけれども、宮古島なものだから生きておりまして、今ホテルの総支配人をやっております。 みんな私の数少ない生き残りでございまして、沖縄返還国会のときも、週末沖縄に調べに行くたびに胃が痛む思いをしたのであります。
まだ一人、今生きていますが、目黒の雅叙園観光ホテルの総支配人工藤勉君なんというのは、沖縄本島に行くつもりだったら宮古に行った、ほんのわずかだから一番先に殺されると思ったら米軍が本島だけ攻めたから助かっているというのもいる。
以下、ちょっと読み上げにくい、私自身が兵隊なものですからちょっと物を言いにくくなりますが、私は豊橋の第一陸軍予備士官学校の十一期でございまして、鐘紡の会長などをやっていた伊藤淳二君だとか、今雅叙園観光ホテルの総支配人工藤勉君だとか、この間死にましたが、大正大学の学長の安居香山君だとかみんな私の同期、生き残りでございます。
これも新聞報道によりますが、雅叙園観光の実例が監査の例として出ておりました。「適法」という表現をされて、一カ月の間に「意見差し控え」となって、さらにまた「適法」に、まあころころいわゆる監査の評価が変わったというんです。
例えば雅叙園の例が出ていますが、一回目の適法意見、これが途中で意見差し控えに変わり、さらに三回目にまた適法に変わったというんですよね。だから、上場廃止期限いっぱいの五月三十日ぎりぎりの段階になって会社側の主張に妥協せざるを得なかったんだ、こういう指摘です。 私もなるほどと思ったし、なるほどと思った根本が、やはり相手からお金をもらう、そういう関係にあります。例外はイトマンの監査の問題だったと。
○安恒良一君 適用があったのもありますが、例えば今問題になっている東急電鉄株の問題、それから雅叙園観光株の問題、それから本州製紙株の問題、一部これは司直の手の入ったのもありますけれども、なかなか今の百二十五条だけでは、これを大蔵省がきちっとされないと、今回もまだまだ東急電鉄株について、きょうも同僚議員からさらに徹底的調査をしてもらいたいと、こう言われておりますから、やはり私は、今の相場操縦的行為の禁止条項
私どもが早速調べましたところでも、伊藤氏は、雅叙園観光の仕手戦に深く関与する等方しからざる世評、経歴を有していることが判明いたしましたので、三月二十日、磯田前会長とも協議の上、河村前社長に伊藤氏退社を要請することといたしました。 そこで私は、三月二十二日に河村前社長を本店に呼びまして、伊藤氏をイトマンから退社させるよう強く要請をいたしました。
それから、雅叙園観光の関係のウイングゴルフカントリー、これが千百二十五枚で六百七十五億円相当の会員権があるというぐあいに言われておりますが、これはマスコミで報道されたように、既にイトマンにも同じものが出してある、つまり無価値です、これは。あるいはまた、さつま観光に至っては、その担保というのが二番、三番ということになっています。
先ほども申し上げましたように、さる法曹界の方からお話をいろいろお聞きしたわけでございますし、さらに我々独自といたしましても調査をいたしまして、雅叙園観光その他仕手関係にも随分・関係が深い、あるいは不明朗、不透明な点が甚だたくさんあるんじゃないかということを我々の調査の結果でも確認ができましたから、そういうことを申したわけでございます。
それから二番目に、雅叙園の再建増資にイトマンが参画するのをどうして住銀は反対をし、阻止をされなかったのでしょうか。これもまた伊藤寿永光被告がイトマンに接触し、イトマン・スキャンダルの発端になっているんですね。もう御承知のとおりだと思うのです。この点でも私は住銀の責任は重大ではないか。
第二の、雅叙園の増資にイトマンが応じたということについては、我々は、銀行サイドは全然存じませんで、河村社長の経営判断で行われたものだということだと思います。 それから、伊藤を紹介したのが磯田氏だということをおっしゃいましたが、それは絶対に違います。元支店長が紹介したというふうに私は承っております。
それから、二番目の雅叙園の問題は、もう御存じのとおり、おたくは日本ドリーム観光を乗っ取ろうとされた。それが失敗したから、次のターゲットを雅叙園に絞ったのではないですか。そういうことはもう資料でたぐさんございます。 なお、最後に、六十一年十月一日に住銀は平和相互銀行を吸収合併された。だがそのとき、不相は莫大な不良債権を抱えておったはずです。現在、それはどう処理されておりますか。
これはあるところから、事前にこれは当然入っていたものだろうと思うのでありますが、イトマンと関係してまいりますが、南青山の土地、伊勢志摩で約一千億、それから杉山商事で、これはもう検察当局に入っているわけですが、杉山商事で一千億、大平産業で一千億あるいは雅叙園観光で二千億、大和地所等で一千億、合計六千億等が転がしに使われているというようなものが、しばらく前でありましたが、投書等に出ていたというようなことが
私の調査によります幾つかの例を申し上げますと、この近くでは例えば帝国ホテルの一カ月の借地料は本年度は一万三千六十三円、そして後楽園の遊園地一カ月一坪当たり三千四百八十二円、目黒の雅叙園一カ月当たり千四十円、昭和電工六百二十一円、帝蚕倉庫二千二円、イワオ工業七百十一円、このような東京周辺の借地料であります。
○種田誠君 私、東京の内幸町の帝国ホテルのあたりの土地の時価、また後楽園や雅叙園の付近の土地の時価、よくわかりませんが、何か私たちの庶民感情からいいますと、営利を上げている事業体の一カ月の借地料、坪当たりとしては極めて安いのではないだろうか。私は茨城県の水戸市に住んでおるんですが、水戸の繁華街でも一般の借地料となりますとこんなものじゃないわけなんです。
帝国ホテル、雅叙園、後楽園スタヂアム、東洋海運倉庫、京北倉庫、ミツウマ及びイワオ工業でございます。貸付時期は、物納財産を除きまして終戦後の昭和二十六年までに貸し付けられたものでございます。それから現契約上の貸付期間は、堅固な建物の敷地となっているものにつきましては三十年、非堅固な建物の敷地となっているものについては二十年等となっております。
そして有名なコスモポリタン、これも新聞報道、雑誌等で紹介をされている企業でございますが、雅叙園観光の株を昭和六十一年二百四十七万六千株を買いまして、占有率九%、三位でございましたけれども、これが六十三年の私どもが調べた範囲内では九百四十一万九千株、占有率三四・三%、一位というようになってきておるわけであります。
それからホテル・ニュージャパン、それから都市センターホテル、それから雅叙園、この四件でございます。 なお、「適」マークを交付されない理由につきましては、私ども承知いたしておりません。
○土井委員 いろいろもう新聞紙上ではこの問題が取り上げられて報じられている事実がございますが、東京では昨年の十二月四日に雅叙園観光ホテルにおいて、また十月三日には八芳園において、それぞれパーティーが催されているという事実がございます。